紺紙白字詩書屏風

紺紙白字詩書屏風

こんしはくじじしょびょうぶ

 

洪浩然(こうこうぜん)は号を雲海、一名「こぶ浩然」。豊臣秀吉の朝鮮出兵、文禄2年(1593)晋州城攻めの際、大筆を肩にかけて穴に隠れていた童子を見つけ、鍋島直茂公帰朝の時佐賀へ召連れられ、直茂・勝茂の側近くに使えたのが洪 浩然。成長して京都五山へ遊学し、学者として書家として名を成した。年老いて勝茂公より一時は帰国の願いも許されたが、唐津境で呼び戻され、朝鮮への帰国は叶わなかった。その後、明暦3年(1657)勝茂公の死に伴い、‘忍’の一字を家族に遺し殉死を遂げた(76才)。墓は佐賀市北川副町木原の阿弥陀寺。

江戸時代(16世紀末~17世紀)
洪 浩然

(各扇)竪53.0cm 横131.0cm


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