湿板カメラ
しっぱんかめら
木製鏡筒のレンズや内部の釘の形状などにより、初期の国産のものであることが推測できる湿板カメラ。Ⅹ線写真によると前に一枚、後ろに二枚のレンズが確認され、初期の国産カメラとしては最も多いレンズ構成を持つものであることが分かった。カメラ後部は湿板特有の硝酸銀による汚れが目立ち、かなり使用した形跡が認められ、佐賀藩の科学研究施設であった精煉方で使用された可能性も考えられる。佐賀藩における写真術研究の詳細は明らかになっていないが、安政6年(1859)、藩医川崎道民撮影と箱書きされた藩主鍋島直正公の湿板写真も現存しており、写真術研究が進んでいたことがうかがわれる。