収蔵品紹介

観頤荘図

かんいそうず

観頤荘は3代鍋島綱茂が佐賀城の西方に設けた別荘で、西御屋敷と称した。元禄13年(1700)、綱茂は諸人が参拝しやすいようにとの配慮から、城内にあった孔子聖堂を移し(鬼丸聖堂)、学問所とした。北から南を眺めた景観を描いた本図を見ると、観頤荘には築山や滝、池、流水などが巡らされ、その間に楼閣や茶屋、動物小屋などが散在しており、豪華な池泉回遊式庭園の様相を呈していたことが分かる。4代吉茂の時に、財政難を理由として破却し、宅地として藩士に拝領せしめた。

江戸時代
成富椿屋

竪61.9cm 横134.5cm

掲載図録

●図録「御城下絵図を読み解く」(平成22年)


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