第8回 弟とのひととき

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鍋島直大(なべしまなおひろ)

 直正公の子でのちに11代藩主となる直大公は、貢姫さまの7歳年下の弟で弘化3年(1846)に生まれました。幼名は淳一郎。万延元年(1860)9月18日に初めて江戸へ上ります。文久元年(1861)2月15日に将軍家茂に初めて御目見し、同年3月13日に将軍家茂の一字を拝領し、従四位侍従・松平信濃守茂実となりました。

貢姫さまは佐賀で生まれるも7歳の頃から江戸で暮らしていますが、弟の茂実は生まれてからずっと佐賀で暮らしています。このようにお互いにあまり会えないお二人ですが、貢姫さまと茂実がつかの間のひとときを過ごされたことが分かるお手紙があります。

 幾山を転ばせた・・・!

 文久元年(1861)4月、貢姫さまが過ごす川越屋敷に弟の茂実(直大)が遊びに来ました。なかなか会えない年の離れた姉に会えたことが嬉しかったのか、茂実は帰るのを嫌がって幾山(貢姫さま付老女)を転ばせてしまったというエピソードがお手紙に綴られています。

【翻刻】
「且又九日ニは、信濃守(茂実)事御屋敷へ参り、餘程よろこひ候由、右之節お帰りをいやかり、幾山をころはし候由、嘸々大笑ひと被存申候、しかし右様之節ハ、おしかり被成てよろしく御座候」
【現代語訳】
「九日には茂実が川越藩邸を訪れ随分と喜んだそうですね。その際に帰るのを嫌がって幾山を転ばせたそうで、さぞかし大笑いしたことでしょう。しかしそのような場合にはお叱りくださっていいのです。」

 茂実のやんちゃでほほえましいエピソードですね。
 

やんちゃをした時は叱ってあげて

 話は少しさかのぼり、茂実は万延元年(1860)に初めて江戸へ出ます。その数日前に、直正公は息子へ七カ条の心得を授けますが、その中にこんな一節があります。

「一、御母様(筆姫)へ孝養を尽くし候義は申す迄もこれ無く、その方には孝盛院様(盛姫)御養の義にも候間、御恩儀、忘却なきよう存じ候かつまた、右御附尼衆も居られ候間、疎に存ぜらる間敷候(※1)

 父からは女中だからと言って彼女たちを雑に扱ってはいけないと教えられていた茂実ですが、幾山は心を許した相手でもあったのか、今回のように思わず突き飛ばしてしまったエピソードも残っています。貢姫さまと茂実、そして幾山、3人の特別な関係が感じられます。
直正公も「さぞかし大笑いしたことでしょう」と姉弟の仲の良さから生じた出来事としてほほえましく思いながらも、半年後には11代藩主となる弟のためにも「しかしそのような場合にはお叱りくださっていいのです」と貢姫さまに伝えています。厳しくもあたたかい直正公の親心が感じられます。

 

参考

※1:鍋109-7「古川松根筆記」(公益財団法人鍋島報效会所蔵/佐賀県立図書館寄託)

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