収蔵品紹介

佐賀城御本丸差図

さがじょうごほんまるさしず

佐賀城は享保11年(1726)の火災により天守閣をはじめ本丸・二の丸・三の丸がほぼ全焼し、その後は2年後に再建された二の丸御殿が藩庁としての機能を担ったが、天保6年(1835)の火災により再び焼失した。そこで10代鍋島直正は、「日峯様(藩祖・直茂)、泰盛院様(初代・勝茂)御心力を尽くされ、御天守其外御築置かれ」たことを鑑みて本丸の再建にとりかかった。本丸御殿は同8年に完成し、翌年直正が入り、以後はここで政務を執った。本図はこの時の本丸御殿再建プランを示したものである。御玄関・御式台・外御書院・御料理間などの表、藩主の居室である御座間などの中奥、長局などの大奥、さらには請役所や御懸硯方などの役所機能も取り込んだ藩政拠点としての役割が認められる。これらの建物群の遺構は県立佐賀城本丸歴史館設置に伴う発掘調査でも確認されたが、本図中の大溜・大御書院・能舞台などの遺構は確認されず、計画のみで建てられなかったことが分かった。

天保6年(1835年)


竪140cm 横124cm

掲載図録

●図録「歴代藩主と佐賀城」(平成23年)


掲載図録はこちら(●図録「歴代藩主と佐賀城」(平成23年))

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