第8回 将軍家からのお嫁入り

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10代佐賀藩主鍋島直正公がまだ藩主になる前、正室として将軍家よりお姫さまを迎えました。それが盛姫様です。鍋島家と将軍家の婚姻は初代勝茂公以来、実に200余年ぶりでした。
それでは盛姫様はどのような人だったのでしょうか。盛姫様について、今回と次回の2回に分けて徴古館に伝わる資料とともにご紹介します。

直正公との結婚

盛姫様は、文化8年(1811)に11代将軍徳川家斉公の娘として生まれ、文政2年(1819)、直正公との婚約が成立します。
盛姫様の輿入れにあたっては、住居となる桜田上屋敷の増改築が行われました(※1) 。財政難や敷地確保の苦労もありましたが、文政8年(1825)10月に完成し、翌月に婚儀が行われました。直正公12歳、盛姫様15歳の時でした。
直正公と盛姫様は夫婦仲も良く、婚礼後のおふたりの様子が分かる文献が伝わっています。(※2)

【翻刻】
「姫君様ニも万端御規式も相済、御満足ニ被為入、若殿様ニも御馴染被遊候而、御三度迄御住居之方ニ而被召上候、誠ニ難有奉ぞん」

【現代語訳】

「盛姫様は婚礼の一連の儀式がひと段落してホッとしているご様子です。直正公にも馴染んで三度の食事まで一緒に召し上がっています」


▲婚儀の様子(鍋島直正公御実歴一百図)


「誠に抜群の御手際」

お姫さまは幼少の頃から手習や文学、茶道、香道、華道などたくさんのことを嗜んでいました。盛姫様も例外ではなく、特に生花の腕前については佐賀藩士の古賀穀堂が次のように記録しています。(※3)

【翻刻】
「一 盛姫君様御花生ハ殊之外御上手ニ而、公方様ゟ御直々御伝授之由、戌十月十一日之夜、御庭之菊花拝見被仰付候節、右之御生花も拝見仕候に、誠に抜群之御手際なり、御庭之菊花ハ御用人間宮平右衛門殿手を被入、殊之外見事に出来たり、扨又文鳳罷上、講釈ナト被仰付、色々御風流之事ともなり」

【現代語訳】

「盛姫さまの生花の腕前は特に上手で、これも公方様(徳川家斉公)直々にご伝授されたからである。10月11日の夜、佐賀藩邸の庭の菊を拝見した時に、盛姫様の生花も拝見したが、誠に抜群の腕前であった」

このように、古賀穀堂は盛姫様の生花の腕前を絶賛しています。そして盛姫様のその腕前は父である将軍家斉公から直々に教わったものでした。

※1 桜田上屋敷は藩主夫人の住居で、江戸参府中の藩主の居所です。しかし、将軍の娘である盛姫様の輿入れに伴い、貞丸(直正公)が溜池中屋敷から桜田に移り、代わりに9代藩主斉直・幸姫夫妻が溜池中屋敷を居所としました。
※2 鍋311-2 極密江戸贈答書附(写)(佐賀県立図書館寄託/公益財団法人鍋島報效会所蔵)
※3 潜窩甲申文稿 文政8年12月条(公益財団法人鍋島報效会所蔵)

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